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Japaneseちむぐるしゃんsongs

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津軽三味線奏者蝦名宇摩のセカンドアルバム。

【収録曲】
1. 秋田小原節(秋田)
2. 道南口説(北海道)
3. 十三の砂山(青森)
4, 津軽音頭-津軽三下り
5. 津軽木挽唄(青森)
6. てぃんさぐの花(沖縄)
7. ホレホレ節(ハワイ)
8. 旅や浜宿り(奄美大島)
9. 塩道長浜節(奄美大島)
10. 陰調津軽あいや節(青森)
11. 津軽じょんがら曲弾き(青森)

【曲目紹介】
一. 秋田小原節(秋田)
作詞:新井孝男 a lyric writer:Takao Arai
津軽三味線 / 尺八 / 唄 / 鈴:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi / Singing / Suzu : Uma Ebina

「秋田小原節」の元唄では鹿の切ない心情が唄われています。
『野越え山越え 深山越え あの山越えれば紅葉山 紅葉の下には鹿がおる 鹿がホロホロ 泣いておる 鹿さん鹿さん 何故なくの 私の泣くのは ほかじゃない はるか向こうの 木の陰に 六尺あまりの狩人が 五尺二寸の鉄砲かつぎ 前には赤毛の犬をつれ 後ろに黒毛の犬つれて あれにうたれて 死んだなら 死ぬるこの身はいとはねど 後に残りし 妻や子が どうして月日を送るやら 思えば涙がおはら先にたつ』
秋田小原節が盛んに唄われた明治、大正は日清、日露戦争の時代。赤紙一枚で戦場へと送られる父親と狩人に狙われた鹿を重ねて、当時の人たちはこの歌を歌い継いできたのではないか。だとしたらこの唄は当時の人たちの反戦歌なのではないか?
そのような解釈から、義父の新井孝男が2011年に原発事故が起きてしまった日本で、放射能の中で生きるという現代の苦悩を作詞し、替え歌に。三味線、尺八、太鼓、鈴の音にのせて切なく唄いました。

二. 道南口説(北海道)
津軽三味線 / 唄 / 太鼓:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Singing / Taiko : Uma Ebina

江戸~明治時代に渡島・桧山沿岸でニシン漁が活況の頃、越後から渡って来た目の不自由な瞽女(ごぜ)が「新保広大寺くずし」の節にのせ、北海道の地名を歌詞に取り入れて披露したのが始まりと言われている。
コンクールへ出ていた若かりし頃は、力強いこの唄を勝負唄にしていた。ライヴでは娘の太鼓と弾き語りで演奏する定番の1曲。シンプルに太棹と太鼓にのせて。

三. 十三の砂山(青森)
津軽三味線 / 尺八:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi : Uma Ebina

 青森県津軽地方五所川原市の盆踊り唄。山形県酒田市の「酒田節」が千石船の船乗りの伝馬船漕ぎの唄となって十三港に伝えられ、のちに盆踊り唄として唄われたと言われている。津軽三味線に、奄美の三線と尺八を加えちょっとかわったメロディーを楽しんでみた。

四. 津軽音頭 - 津軽三下り(青森)
津軽三味線:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi : Uma Ebina

秋田方面からやってくる目の不自由な遊芸人が西津軽郡森田村を中心とする周辺の農村へやってきて歌い継がれたと言われている「津軽音頭」。そして元は馬子唄だったものが転じたとされる青森県の五代民謡の一つでもある「津軽三下り」。三味線民謡は「二上り」「本調子」そして三番目の糸の音を下げて演奏する「三下り」この三種類の調弦で弾き分ける。「津軽音頭」と「三下り」はその名の通り三下りで演奏する数少ない民謡の一つ。迫力あるバチさばきの中に哀愁も感じられるこの二曲は私のお気に入りの即興曲。

五. 津軽木挽唄(青森)
津軽三味線 / 尺八 / 唄:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi / Singing : Uma Ebina

山で働く木挽き職人たちが、大きな鋸(のこぎり)で材木を板にひくとき、調子を合わせるために唄うこの唄。
木挽き職人は出稼ぎで各地の山で働いたため、唄が全国に広まったと言われている。その土地その土地の節回しがありどれも魅力的。尺八伴奏で唄うのが定番ですが、あえて三味線でトライ。新鮮な木挽唄になりました。

六. てぃんさくの花(沖縄)
三線 / 唄/ 太鼓:蝦名宇摩 Sanshin / Singing / Taiko : Uma Ebina

「てぃんさぐ」とは「鳳仙花(ホウセンカ)」の事。沖縄では昔、鳳仙花の赤い汁を爪に塗ってマニキュアのように爪を染める風習があったそう。色がとれにくい鳳仙花で爪を染める様に、親の教えを深く心にとどめなさい、と言う教訓的な歌詞。少し説教じみてムズムズしますが、そこは沖縄の方言の柔らかさでカバー。三線2丁でオリジナルのメロディーを重ねてみました。

七. ホレホレ節(ハワイ)
三線 / 唄 / 太鼓:蝦名宇摩 Sanshin / Singing / Taiko : Uma Ebina

ハワイの日本人一世が生み出した労働歌。19世紀末に日本人労働移民が組織的にハワイに送り込まれ、ハワイ各地の砂糖耕地で重労働についた。ホレホレ節は、その砂糖耕地での労働の中から生まれてきた民謡。過酷な労働の中、命を繋ぐ思いでおのおのの出身地の民謡など耳なじんだ調べを口ずさんだ。それが「ホレホレ節」になったと言われている。「ホレホレ」とはハワイ語でサトウキビの枯れ葉をむしる作業のことで、「ホレホレ」という言葉の口調がよく「ホレホレ節」と名付けられたそうな。
夢見てハワイへ嫁にいったが、港に待ち受けていた夫になる人は年老いたおじいであり、片道分の船賃しかない日本の若い女性は泣く泣く結婚し、サトウキビ畑で重労働を強いられたというストーリーも聞く。
南国っぽく三線にのせて唄います。

八. 旅やはま宿り(奄美大島)
三線 / 太鼓:蝦名宇摩 Sanshin / Taiko : Uma Ebina

私が生まれ育った奄美大島で聞いた島の唄。暑い盛りの8月、夕暮れどきから土俵の周りを老若男女が輪になり太鼓の音に合わせ唄い、踊り、祝う夏の風物詩「八月踊り」。記憶を辿って、幼い頃に口ずさんでいた島の唄を唄ってみたものの何とか歌詞は思い出せたが、タイトルは不明。歌詞の中から勝手につけました。山羊皮の太鼓にのせて。

九. 塩道長浜節(奄美大島)
三線 / 唄 / 太鼓:蝦名宇摩 Sanshin / Singing / Taiko : Uma Ebina

喜界島の北東部の塩道という集落にまつわる悲しく残酷な島唄。この唄の何とも言えない物悲しい旋律が昔から好きだった。悲しい曲調には意味がある。その昔、喜界島の北東部に塩道という集落があり、そこに「けさまつ」という大変綺麗な娘がいた。「けさまつ」に惚れた男が、長浜で想いを遂げようとしたところ、「けさまつ」はその男の足に馬の手綱を結いつけるようにお願いする。男が言われた通りにすると「けさまつ」は馬を驚かせ、暴走した馬に引きずられて、結局男は惨死してしまう。誰も居ない塩道の長浜で夜な夜な亡霊の泣き声が聞こえる、という何とも残酷な唄。余りにも残忍な女「けさまつ」だが、実は女神のような存在だったとも言い伝えられている。

十. 陰調津軽あいや節(青森)
津軽三味線 / 唄 / 太鼓:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Singing / Taiko: Uma Ebina

青森県五代民謡の1つでもある「あいや節」。熊本県の《牛深ハイヤ節》が源流であるといわれている。全国の港町を中心に流行し『阿波踊り』『佐渡おけさ』、そして『津軽あいや節』のルーツとなったと考えられている。
祝いの席や舞踊でも定番の明るい民謡ですが、この度演奏した「あいや節」は、華やかなイメージとは程遠く「陰調」(半音)で奏でるとても物悲しく暗い旋律。何とも味のある私の好きな曲です。唄もさる事ながら、三味線の演奏も高度なテクニックを要するこの曲。即興伴奏にのせて唄いました。

十一. 津軽じょんがら曲弾き(青森)
津軽三味線:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi : Uma Ebina

津軽三味線といえばまずイメージするのは「津軽じょんがら」でしょう。じょんがらと一言で言っても何通りもの弾き方がある。私が初めて聞いたじょんがらはレコードから流れる味のある高橋竹山の旧節。民謡大会で挑む時は師匠・蝦名伴主の伴奏にのせて華やかな新節を。合奏曲は中節の組曲を。修行時代におよそ7~8通りのじょんがらを教えてもらった。その中から新旧節~新節の組み合わせで即興演奏。

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