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【CD】「津軽三味線 ヴァイオリン 即興コラボライブ in 蔭凉寺」| 蝦名宇摩 & 太田惠資
¥3,000
2024年4月に岡山・蔭凉寺で行われた、ヴァイオリン奏者・太田惠資と津軽三味線奏者・蝦名宇摩のライブをCD化。「民謡」というベースにのせて紡がれる両者の即興メロディーは、まさに圧巻 【ライブ演奏のダイジェスト映像をご覧いただけます】 https://youtu.be/F2exGptJuIE -------- 1. 津軽三味線とヴァイオリン即興コラボ 2. 五木の子守唄 3. 竹田の子守唄(元唄) 4. 塩道長浜節 5. ヨイスラ節 6. 尺八とヴァイオリン即興コラボ 〜秩父木挽唄 7. 東北 8. 津軽じょんがら曲弾即興コラボ 9. ケレショー(クルド民謡) 〜ウスキュダラ(トルコ民謡) -------- 太田惠資-Keisuke Ohta- 1956年熊本生まれ。鹿児島大学で化学を専攻。27歳で上京し音楽家として活動を開始する。即興演奏を得意とし、数百に及ぶ参加CDや、NHK大河ドラマ「龍馬伝」、映画「るろうに剣心」などで個性的なバイオリンや日本人離れした声を聴く事ができる。これまでに忌野清志郎、宇崎竜童等、多くのアーティストをサポート。特筆すべき活動として自己のユニットYolcu-Yoldaş、山下洋輔氏とのトルコ公演、佐藤允彦インド・ネパール公演など。またhulu連ドラ「雨が降ると君は優しい」や串田和美演出「24番地の桜の園」(シアターコクーン)等では作編曲・音楽監督を務める。直近ではミュージカル「バンズ・ヴィジット」出演、映画「シン仮面ライダー」NHK連ドラ「らんまん」のサントラに参加。 http://violin-ohta.cside.com/ 蝦名宇摩-Uma Ebina- 1976年、奄美大島のヒッピーコミューンで生まれる。10歳の頃より路上パフォーマンスで旅費を稼ぎながら旅してまわる。旅の途中で日本の伝統芸能に出会い衝撃を受ける。15歳の時に単身上京し、埼玉県秩父で屋台囃子の和太鼓と篠笛を学び、津軽三味線と尺八を家元・蝦名伴主氏に師事する。奄美の島唄は武下和平氏に指南を受けた。各民謡、三味線大会で多数優勝。2011年3月の福島原発事故による放射能の影響を危惧し、埼玉から岡山へ母子避難移住。福島の家族を岡山へ招く「せとうち交流プロジェクト」を立ち上げ、毎年保養活動をおこなっている。現在和楽器指導を行いながら県内外で演奏活動を行う。 http://umaebina.com/ -------- 伝統的な日本楽器である津軽三味線と洋楽器のヴァイオリンが、融合した即興コラボライブ音楽アルバムがついに登場しました。このアルバムでは、蔭凉寺という幽玄な雰囲気漂う場所で録音された音源を収録。聴く者を異世界へと誘うような美しい旋律と、二つの楽器が奏でる繊細なハーモニーは、まさに心を魅了します。 それぞれの楽器の持つ独自の魅力が融合した音楽は、聴く者に深い感動をもたらし、心に響くこと間違いありません。このアルバムは、音楽ファンや和楽器に興味がある方々に是非聴いていただきたい逸品です。
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アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピー・ムーブメント史’60ー’90(増補改定版 2nd)| 山田塊也著
¥2,960
山田塊也著/森と出版/A5版(箱入り)/370頁 (★当ショップ限定★山田塊也が描いた絵のポストカード付き) 1960年代から70年代の中頃まで活動していた日本のヒッピー、その草分け的存在である山田塊也氏が、1990年に「第三書館」より刊行した本。日本ヒッピー文化の名著とされ、長らくの絶版で入集困難だったが、2013年に増補改訂版として松山の「森と出版」から再出版された。こちらは2023年にリリースされた第二刷。 1960年代、物質文明に背を向けたヒッピーたちは南海の火山島や信州の高原にコミューン(共同体)を築いていった。幻覚剤LSD、愛と平和、ヒッチハイ ク、ロックとサイケデリック・アートから文化・社会現象として波及していった全過程を日本のヒッピー第一号が語り尽くす。 【目次】 プロローグ ヒッピーとは何者か? 第1章 ヒッピー前史「新宿ビートニク」 1)60年安保-嵐の旅立ち:1960 2)夜の巷のフリークス:1961-1962 3)高度経済成長に背を向けたビートニック:1963-1964 4)奄美群島ただ飯、ただ酒の旅:1965 5)奇妙な風態の一団-BUM(バム)の蜂起:1966-1967 第2章 ヒッピーコミューン運動「部族」 6)国分寺、八ヶ岳、諏訪之瀬のコミューン:1967 7)フーテン族とヒッピー:1967 8)大麻取締法違反第1号:1967 9)部族宣言とヒッピーブーム:1967-1968 10)脱走米兵の隠れ家と反戦運動:1968 11)冬の夜の旅-ヒッチハイクと般若心経:1968 12)二つのコミューン-赤ガラスとバンヤン:1969 13)詩・「部族」生活の核心シリーズ:1970 14)マドラスの蟹男の歓迎:1971 15)海辺の小屋で毎晩続くドロドロ話:1971 16)ヤマハによる諏訪之瀬島乗取り計画:1972-1973 17)ヤマハボイコット運動:1974-1975 第3章 南の島のコミューン「無我利道場」 18)琉球弧キャラバンと奄美:1975 19)無我利道場の創立:1975 20)徳之島の核燃料再処理工場計画:1976-1977 21)アブリ漁とクソ裁判:1977-1978 22)ウーマンリブと実力阻止闘争:1979 23)飴ニモ負ケズ、鞭ニモ負ケズの戦線構築:1980 24)奄美独立革命論と海の詩:1981 第4章 反日思想とインド放浪 25)東アジア反日武装戦線との出会い:1982 26)タイのジャングル潜伏から姿を現したカラワン・バンド:1982 27)インド乞食旅:1982 28)ローマのアラブ人浮浪者たち:1983 29)爆発物取締(バクトリ)罰則九条と東京拘置所:1983-1984 30)日本国と日本人としての自己批判:1984 31)劇画・原日本人「縄文インディアンの抵抗」:1985-1986 32)アメリカインディアンのホビ族に伝わる予言の記録映画:1986-1987 第5章 まつろわぬ山の民からの逆襲 33)わがフリークなる生い立ち:1937-1960 34)詩・天皇制原体験:1944-1977 35)帰郷報告会と飛騨の聖地位山祭:1987 36)ローリング・ドラゴンといのちの祭り’88:1988.8.8 37)聖なるランニングと旅する娘たち:1988 38)無我利道場が右翼に襲撃された:1988 39)古代天皇制にまつろわなかった両面宿儺の復権:1989 40)日本社会の秩序を乱すコミューン潰しの外圧:1989 41)ヒッピージュニア世代の活躍:1989 42)無我利道場の解体とネオ・ヒッピー:1989 エピローグ結び合う心 地球治療法(ガイア・ヒーリング) 43)激動と崩壊の前兆:1990 44)草の根運動の波と大嘗祭:1990 45)五十路の自己点検:1990 46)いのちのまつり’90:1990 【付録】 ①「部族新聞」の部分復刻版 ② 寄稿冊子(Flynig Books 山路和広「書物とカウンターカルチャー」・山口晴康「The Long Walk for Big Mountain いのちの流れ、いのちの道」)
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Japaneseちむぐるしゃんsongs
¥2,300
津軽三味線奏者蝦名宇摩のセカンドアルバム。 【収録曲】 1. 秋田小原節(秋田) 2. 道南口説(北海道) 3. 十三の砂山(青森) 4, 津軽音頭-津軽三下り 5. 津軽木挽唄(青森) 6. てぃんさぐの花(沖縄) 7. ホレホレ節(ハワイ) 8. 旅や浜宿り(奄美大島) 9. 塩道長浜節(奄美大島) 10. 陰調津軽あいや節(青森) 11. 津軽じょんがら曲弾き(青森) 【曲目紹介】 一. 秋田小原節(秋田) 作詞:新井孝男 a lyric writer:Takao Arai 津軽三味線 / 尺八 / 唄 / 鈴:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi / Singing / Suzu : Uma Ebina 「秋田小原節」の元唄では鹿の切ない心情が唄われています。 『野越え山越え 深山越え あの山越えれば紅葉山 紅葉の下には鹿がおる 鹿がホロホロ 泣いておる 鹿さん鹿さん 何故なくの 私の泣くのは ほかじゃない はるか向こうの 木の陰に 六尺あまりの狩人が 五尺二寸の鉄砲かつぎ 前には赤毛の犬をつれ 後ろに黒毛の犬つれて あれにうたれて 死んだなら 死ぬるこの身はいとはねど 後に残りし 妻や子が どうして月日を送るやら 思えば涙がおはら先にたつ』 秋田小原節が盛んに唄われた明治、大正は日清、日露戦争の時代。赤紙一枚で戦場へと送られる父親と狩人に狙われた鹿を重ねて、当時の人たちはこの歌を歌い継いできたのではないか。だとしたらこの唄は当時の人たちの反戦歌なのではないか? そのような解釈から、義父の新井孝男が2011年に原発事故が起きてしまった日本で、放射能の中で生きるという現代の苦悩を作詞し、替え歌に。三味線、尺八、太鼓、鈴の音にのせて切なく唄いました。 二. 道南口説(北海道) 津軽三味線 / 唄 / 太鼓:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Singing / Taiko : Uma Ebina 江戸~明治時代に渡島・桧山沿岸でニシン漁が活況の頃、越後から渡って来た目の不自由な瞽女(ごぜ)が「新保広大寺くずし」の節にのせ、北海道の地名を歌詞に取り入れて披露したのが始まりと言われている。 コンクールへ出ていた若かりし頃は、力強いこの唄を勝負唄にしていた。ライヴでは娘の太鼓と弾き語りで演奏する定番の1曲。シンプルに太棹と太鼓にのせて。 三. 十三の砂山(青森) 津軽三味線 / 尺八:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi : Uma Ebina 青森県津軽地方五所川原市の盆踊り唄。山形県酒田市の「酒田節」が千石船の船乗りの伝馬船漕ぎの唄となって十三港に伝えられ、のちに盆踊り唄として唄われたと言われている。津軽三味線に、奄美の三線と尺八を加えちょっとかわったメロディーを楽しんでみた。 四. 津軽音頭 - 津軽三下り(青森) 津軽三味線:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi : Uma Ebina 秋田方面からやってくる目の不自由な遊芸人が西津軽郡森田村を中心とする周辺の農村へやってきて歌い継がれたと言われている「津軽音頭」。そして元は馬子唄だったものが転じたとされる青森県の五代民謡の一つでもある「津軽三下り」。三味線民謡は「二上り」「本調子」そして三番目の糸の音を下げて演奏する「三下り」この三種類の調弦で弾き分ける。「津軽音頭」と「三下り」はその名の通り三下りで演奏する数少ない民謡の一つ。迫力あるバチさばきの中に哀愁も感じられるこの二曲は私のお気に入りの即興曲。 五. 津軽木挽唄(青森) 津軽三味線 / 尺八 / 唄:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi / Singing : Uma Ebina 山で働く木挽き職人たちが、大きな鋸(のこぎり)で材木を板にひくとき、調子を合わせるために唄うこの唄。 木挽き職人は出稼ぎで各地の山で働いたため、唄が全国に広まったと言われている。その土地その土地の節回しがありどれも魅力的。尺八伴奏で唄うのが定番ですが、あえて三味線でトライ。新鮮な木挽唄になりました。 六. てぃんさくの花(沖縄) 三線 / 唄/ 太鼓:蝦名宇摩 Sanshin / Singing / Taiko : Uma Ebina 「てぃんさぐ」とは「鳳仙花(ホウセンカ)」の事。沖縄では昔、鳳仙花の赤い汁を爪に塗ってマニキュアのように爪を染める風習があったそう。色がとれにくい鳳仙花で爪を染める様に、親の教えを深く心にとどめなさい、と言う教訓的な歌詞。少し説教じみてムズムズしますが、そこは沖縄の方言の柔らかさでカバー。三線2丁でオリジナルのメロディーを重ねてみました。 七. ホレホレ節(ハワイ) 三線 / 唄 / 太鼓:蝦名宇摩 Sanshin / Singing / Taiko : Uma Ebina ハワイの日本人一世が生み出した労働歌。19世紀末に日本人労働移民が組織的にハワイに送り込まれ、ハワイ各地の砂糖耕地で重労働についた。ホレホレ節は、その砂糖耕地での労働の中から生まれてきた民謡。過酷な労働の中、命を繋ぐ思いでおのおのの出身地の民謡など耳なじんだ調べを口ずさんだ。それが「ホレホレ節」になったと言われている。「ホレホレ」とはハワイ語でサトウキビの枯れ葉をむしる作業のことで、「ホレホレ」という言葉の口調がよく「ホレホレ節」と名付けられたそうな。 夢見てハワイへ嫁にいったが、港に待ち受けていた夫になる人は年老いたおじいであり、片道分の船賃しかない日本の若い女性は泣く泣く結婚し、サトウキビ畑で重労働を強いられたというストーリーも聞く。 南国っぽく三線にのせて唄います。 八. 旅やはま宿り(奄美大島) 三線 / 太鼓:蝦名宇摩 Sanshin / Taiko : Uma Ebina 私が生まれ育った奄美大島で聞いた島の唄。暑い盛りの8月、夕暮れどきから土俵の周りを老若男女が輪になり太鼓の音に合わせ唄い、踊り、祝う夏の風物詩「八月踊り」。記憶を辿って、幼い頃に口ずさんでいた島の唄を唄ってみたものの何とか歌詞は思い出せたが、タイトルは不明。歌詞の中から勝手につけました。山羊皮の太鼓にのせて。 九. 塩道長浜節(奄美大島) 三線 / 唄 / 太鼓:蝦名宇摩 Sanshin / Singing / Taiko : Uma Ebina 喜界島の北東部の塩道という集落にまつわる悲しく残酷な島唄。この唄の何とも言えない物悲しい旋律が昔から好きだった。悲しい曲調には意味がある。その昔、喜界島の北東部に塩道という集落があり、そこに「けさまつ」という大変綺麗な娘がいた。「けさまつ」に惚れた男が、長浜で想いを遂げようとしたところ、「けさまつ」はその男の足に馬の手綱を結いつけるようにお願いする。男が言われた通りにすると「けさまつ」は馬を驚かせ、暴走した馬に引きずられて、結局男は惨死してしまう。誰も居ない塩道の長浜で夜な夜な亡霊の泣き声が聞こえる、という何とも残酷な唄。余りにも残忍な女「けさまつ」だが、実は女神のような存在だったとも言い伝えられている。 十. 陰調津軽あいや節(青森) 津軽三味線 / 唄 / 太鼓:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Singing / Taiko: Uma Ebina 青森県五代民謡の1つでもある「あいや節」。熊本県の《牛深ハイヤ節》が源流であるといわれている。全国の港町を中心に流行し『阿波踊り』『佐渡おけさ』、そして『津軽あいや節』のルーツとなったと考えられている。 祝いの席や舞踊でも定番の明るい民謡ですが、この度演奏した「あいや節」は、華やかなイメージとは程遠く「陰調」(半音)で奏でるとても物悲しく暗い旋律。何とも味のある私の好きな曲です。唄もさる事ながら、三味線の演奏も高度なテクニックを要するこの曲。即興伴奏にのせて唄いました。 十一. 津軽じょんがら曲弾き(青森) 津軽三味線:蝦名宇摩 Tsugaru Shamisen / Shakuhachi : Uma Ebina 津軽三味線といえばまずイメージするのは「津軽じょんがら」でしょう。じょんがらと一言で言っても何通りもの弾き方がある。私が初めて聞いたじょんがらはレコードから流れる味のある高橋竹山の旧節。民謡大会で挑む時は師匠・蝦名伴主の伴奏にのせて華やかな新節を。合奏曲は中節の組曲を。修行時代におよそ7~8通りのじょんがらを教えてもらった。その中から新旧節~新節の組み合わせで即興演奏。
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輪郭〜民謡弾きかたり〜
¥1,200
津軽三味線奏者蝦名宇摩のファーストアルバム。 【収録曲】 1. 南部俵つみ唄(岩手・青森) 2. 津軽山唄−ワイハ節(青森) 3. 竹田の子守唄(京都) 4. 豊年節(奄美大島) 5. 津軽じょんがら曲弾き 【曲目紹介】 1. 南部俵つみ唄(岩手・青森) 三味線 / 尺八 / 唄 / 太鼓 / 鈴 / はやし:宇摩 旧南部領に伝わる門付け唄。芸人たちは正月や節分の時期などに家々をまわり、俵つみを演じながらその家の主人や蔵への褒め文句をうたって米や金品を受け取っていた。 この曲のリズムとメロディーが好きで、お祝いの席では必ず弾語りする。華やかにするために、三味線二丁に尺八、鈴をいれ合奏にした。 2. 津軽山唄−ワイハ節(青森) 三味線 / 尺八 :宇摩 (津軽山唄)青森の山村でうたわれてきた祝い唄。毎年尺八の伴奏のため師匠といっていた山唄の全国大会。その会場である岩木山の中腹から見渡す津軽平野の清々しさを、この曲を吹くたびに思い出す。 (ワイハ節)「ワイハ」とは、津軽弁で感情を表すときや挨拶などに用いられる言葉。津軽三味線の音色を初めて耳にしたのは高橋竹山のレコードで、太棹の激しい曲調が続く中、哀愁深いこのメロディーに惹かれなんども聞いた。三味線の音色を聴いてもらうためにあえて唄をいれず、太棹二丁で演奏した。 3. 竹田の子守唄(京都) 三味線 / 尺八 / 唄 / 太鼓 :宇摩 京都の被差別部落に伝わる子守唄で、奉公に出された子どもが生活苦をうたった唄と言われている。 フォークソングでは有名な曲だが、民謡として聞くことはあまりない。間奏のメロディーをオリジナルでつけ加え、三味線に太鼓と尺八二本を合わせて弾語りにした。 4. 豊年節(奄美大島) 三線 / 唄 / 太鼓 / はやし:宇摩 「豊年」と名前はつくが、収穫を喜ぶ唄ではなく薩摩船の来航を悦ぶ唄。かつて奄美大島が薩摩藩の支配下に置かれていた時代、島の人々は過酷な労働を担わされ、薩摩から渡ってくる食糧を命綱としていた。遠くに見える薩摩船、それは島民にとって飢えに苦しまずにすむという安堵と悦びの象徴だった。貧しい中で心の叫びのようにうたいあげられる豊年節を、島の山羊皮太鼓にのせて演奏した。 5. 津軽じょんがら曲弾き 三味線 / 唄 / 太鼓 / はやし:宇摩 ボサマと呼ばれる盲目の男性が、生きるために弾いてきた津軽三味線。その代表曲がこの「津軽じょんがら曲弾き」。その曲弾きに、福島県民謡「新相馬節」と「津軽じょんがら旧節」を加えた。 「新相馬節」は、東日本大震災以後、福島の現状を忘れぬようにとうたっている。
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げんぱつかぞえうた
¥500
【収録曲】 1. 原発数え唄 2. 原発数え唄〜島唄バージョン〜 【曲紹介】 「原発数え唄」は、2011年の福島原発事故を受けて、福島県在住の井上利男(福島集団疎開裁判の会代表)と蝦名宇摩の義父新井孝男によって作詞された数え唄。反原発へのメッセージが、古くから伝わる青森県民謡の「弥三郎節」と奄美の島唄「行きゅんにゃ加那」にのせて唄われている。 【歌詞】 ひとつとせ 人の暮らしを奪い去り 罪にも問われずしたり顔 ソラ したり顔 ふたつとせ 二度と戻らぬあの日々よ 離れたふるさと目に浮かぶ ソラ 目に浮かぶ みっつとせ 未来の技術とふきこまれ 信じた自分が情けない ソラ 情けない よっつとせ ヨウソ・セシウムふり注ぐ なぜすぐ知らせぬスピーディー ソラ スピーディー いつつとせ いつものように鍵かけて マスク忘れてまた戻る ソラ また戻る むっつとせ 無理してためこむ核のゴミ 無害化するまで十万年 ソラ 十万年 ななつとせ 内部被爆が気にかかる 子や孫思えば泣けてくる ソラ 泣けてくる やっつとせ やっと手にした一戸建て 警戒区域じゃやりきれぬ ソラ やりきれぬ ここのつとせ 高レベル核の廃棄物 無策の政府は低レベル ソラ 低レベル とうとせ 永久に止めよう原子力 命は金では買えやせぬ ソラ 買えやせぬ